![]() 1.「長3度の罠」8月28日 2.「音楽と言葉(1)」8月29日 3.「音楽と言葉(2)」8月31日 4.「レベッカ・スチュワート師」9月1日 5.「修道院の鐘の音」9月7日 6. アントワープ便り・付録その1、2 |
2.「音楽と言葉(1)」8月29日
今日予定されていたルネサンス・ハープのマスター・クラスが、受講者がいないということで中止になってしまい、一日空いてしまった。講師に予定されていたハンネローレ・デーヴァーレは、昔私がハープに興味を持って習おうかと思っていた時に何回か会った人で、その時はしばらく楽器を借りてはいたものの、まるでものにならず結局あきらめてしまった。彼女のアンサンブルの演奏会は行われたので聴きに行った。きれいな人だったが体積が倍くらいになっていて少しがっかりしたなあ。1500年頃のシャンソンを歌を入れたり、楽器だけの「編曲」で演奏したりしていて、危なっかしい演奏ではあったがそれなりにおもしろかった。
バーゼル出身者による若手のグループ「レ・フランボワイアン」の演奏会でも、リコーダー、ガンバそれぞれ3人と、ハープ、リュートにときどきソプラノを一人加えて、16世紀初頭イタリアの有名な楽譜出版者ペトルッチの曲集オデカトンOdhecaton収録の曲を演奏していた。主にフランドル楽派のフランス語シャンソンを収めたこの曲集には、歌詞が出だしの数語しか記されていない。いくら当時イタリアでフランス語が主要な文化的言語であったとはいえ、これだけの数のシャンソンを歌詞を見ずに歌ったとは考えられないし、器楽的な語法で書かれているものあり、この曲集が楽器のみによる演奏のために出版されたと考える人も多いようである。
いずれにせよ、ルネサンスといえば声楽中心にやってきた私には、数多くのシャンソンをいろいろな楽器の組み合わせで聴けたのはなかなか新鮮な体験だった。演奏はいかにも楽器奏者の発想で、それだけに歌にはない魅力があり、結構楽しめた。それと同時に、特に歌詞を覚えているような曲では、言葉のニュアンスが楽器ではまるで抜けてしまって、まさに間抜けに聞こえて、この時代はやはり歌が基本、器楽は(楽器の人には悪いけど)ちょっとした余興だね、と感じてしまう。器楽曲が本当におもしろくなり始めるのは16世紀中頃以降ではないだろうか。
とはいえ、歌えば言葉がいつでも生きてくるかといえば、実はそれも演奏次第なのである。ルネサンスの声楽曲が、まるでアーティキュレーションのないオルガン演奏のように歌われているのを良く聴いてきた。今回の音楽祭でもその傾向はあり、少し欲求不満になる。ヒリアード・アンサンブルでも、ひとつの曲全体で歌詞の内容を大まかにな雰囲気としては表現していても、あまりに形而上的で、気持ちが伝わってこないことが多い。おそらくとても深いところでの共鳴があり、それを感じればいいのかもしれないが、私には深遠すぎる。フレーズが長すぎて、ひとつひとつの音型、それを形作る言葉、そしてその文章の内容を表そうとする旋律の息づかい、おもしろさが伝わってこないことがよくあるのだ。
もちろん、いつでも音楽が歌詞の内容を具体的に表現しているとは言えない。しかし、私には多くの演奏が言葉に無頓着すぎる様に聞こえてならない。変な言い方かもしれないが、演歌歌手のレベルにも達していないよ、君、と言いたくなる。対位法の極みであるルネサンス・ポリフォニーでも、「音楽は心」であることに違いはない。それを伝えられない演奏は寂しい。
そういえば、例のテレビ・インタビューの時も、東洋人の内向的な性質があまり表出的でないルネサンス音楽に向いているのではないか、と訊かれた。私はすかさず、表現方法はバロックなどとは全く違うが、ルネサンス音楽だってエクスプレッシブな要素は十分あるのですよ、と答えたが、そのような質問が出てくるような先入観が、ヨーロッパの音楽家の間にもあるのかもしれない。
◆ ◆ ◆
ぽっかり空いた一日を、以前から一度見てみたいと思っていたトゥルネーTournaiのカテドラル見物に当てることにした。オランダ語で「トゥルネーまでの往復券を1枚」と頼むと、駅員がフランス語で答えてきたので何事だと思ったら、トゥルネーはフランス名で、オランダ語ではドールニックDoornikと言うのだということを後から知った。オランダ語圏とフランス語圏に分かれるベルギーでは、そのように言葉によって地名も変わるのである。アントワープもオランダ語ではアントウェルペン、フランス語ではアンヴェール。
「トゥルネーのミサ曲」という14世紀の作者不詳の素敵なミサ曲があり、何回か部分的に演奏したことがあったので、なおさら興味があったのだが、ここのカテドラルは写真で見ていた以上に巨大で素晴らしかった。ロマネスクの塔がそびえ立つ中央部分は首が痛くなるほど見ていても見飽きない。祭壇がある後陣部分は天井の高いゴシック様式だが、肝心のその部分がちょうど修復中で櫓が組まれて工事現場のようになっていて、とてもお祈りできる雰囲気ではなく残念だった。宝物が展示されている部屋にあった聖遺骸を入れる大きな黄金の箱は、豪華な彫刻が全体に豊かに施されていて、特に使徒や聖人の彫金が実に見事だ。13世紀のものということだが、200年以上後のルネサンス華やかな頃のフィレンツェ彫刻の傑作と比べても全く見劣りしないのではないか。フランドルの芸術水準の高さをあらためて思い知らされた。
教会の脇に15世紀の有名な画家ファン・デル・ワイデンの記念碑があった。最近作られたものらしいが、聖母子を前に写生している画家が、彩色を施された写実的な等身大の像に彫られていてる。1399年にここトゥルネーで生まれたのだというから、ギヨーム・デュファイとほぼ同い年だ。フランス語圏なので、フランス語で、「Rogiervan der Weydenと呼ばれているRogier de la Pasture」と記されているのがおもしろい。共に「牧場の」と言う意味だろうか。町の名前だけでなく、人名も二つの言葉で表されることもあるのだ。その場合はこのように意味を取る。「道、通りの」を意味するvan Straetenと言う名がオランダには良くあるが、ド・ラ・リューde la Rueはそのフランス語名と言えるかもしれない。
デュファイといえば、彼にゆかりの深いカンブレCambrai(現在はフランスだが、フランドル時代の名残でオランダ名でいえばカメライクKamerijk)がわりと近いので、行ってみようかとも思ったのだが、当時ヨーロッパ有数の音楽の中心地であり、教皇庁聖歌隊の歌手の多くがカンブレからスカウトされてきたというその栄光ある過去の遺物が、どうもあまり残っていない様子で、肝心のカテドラルもバロック時代に再建されたということなので、もっと近場のトゥルネーに変更したのだった。
デュファイの墓碑は博物館に残っているらしい。いつかカペラのプログラムでも紹介したが、写実的に彫られているデュファイの顔が印刷のせいで真っ黒に写ってしまい、「デュファイって黒人だったんですね」と言ってきた人はさすがにいなかったものの、もう少しましな写真を手に入れたいという気持ちはあった。そもそも、15世紀の作曲家で、まともな伝記が書けるほどその生涯の出来事が分かっている人物はいない中で、巨匠自ら生前に作らせた墓碑を拝めるなんて、とても尋常なことではないわけで、そのうちこの墓碑だけのためにも行ってみたい。コワイヤ・ブックなど当時の写本は町の図書館にあるので、それもついでに見てきたいな。
というわけで、近場にしたにも関わらず、出足が遅れたせいもあるが、電車が遅れて乗り継ぎに間に合わず、1本逃すと1時間は待たなくてはならず、しかも路線まで変更して遠回りしやがって、何と行きも帰りもそれをやられたため、アントワープに帰ってきたのが9時、夜の演奏会を聴きそびれてしまった。ヒリアードがジョスカンとペールトを対比させて演奏する演奏会だった。何だかんだ批判めいたことばかり書いてはきたが、一流の演奏であることには違いなく、現代曲は特に素晴らしいので実は結構楽しみにしていたのに、残念無念。おかげでロジャースがくれた「ア・カペラの音程の取り方」というコピーを電車の中でじっくり読むことができた。これで夜の演奏会に間に合っていたら音程ばっかり気にして聴いて、耳がつり上がって、挙げ句の果てには「このピタゴラス崩れの純正長3度野郎ーっ」とかって言ってロジャースに噛み付きに行っていたかもね。代わりにおいしいベルギー・ビールを買ってきて、広々とした宿の部屋で一杯やりながらのんびりとこの手記を仕上げたってわけでした。
→「音楽と言葉(2)」8月31日 へ続く
![]() Copy right(C) 2000-2002 Vocal Ensemble Cappella All Rights Reserved |