花井哲郎の2001年アントワープ便り
1.「長3度の罠」8月28日
2.「音楽と言葉(1)」8月29日
3.「音楽と言葉(2)」8月31日
4.「レベッカ・スチュワート師」9月1日
5.「修道院の鐘の音」9月7日
6. アントワープ便り・付録その1、2

付録その1

 「ラウス・ポリフォニエ」音楽祭の分厚いプログラムに掲載されていた、レベッカ・スチュワート師率いるアンサンブル「カペラ・プラテンシス」の紹介文を訳してみた。私たちのヴォーカル・アンサンブル カペラにも、一言一句違わず当てはまるからだ。「歌手たちは」というくだりは、レベッカが歌手にこう感じてほしいという願いの現れと読んでいいだろう。メンバーが全員同じ程度に理解し、共鳴していると考えるのは少々理想主義的すぎるかもしれない。全く同じことが私たちにも言える。そして同じように、みんなに理解してもらいたい、という気持ちは私もレベッカと変わらない。

 カペラ・プラテンシスは初期および盛期ルネサンスのフランス・ネーデルランドのポリフォニーをレパートリーとしている。カペラのメンバーは、この音楽が演奏された元来の様々な状況が、作曲家の意図を実現するのに最善の糸口を提供してくれると信じている。従って、アンサンブルはこの状況にできるだけ近づこうと努めている。

 カペラ・プラテンシスは創立当初からこの特別なレパートリーが持つ秘密を再発見することに徹してきた。この音楽は、プロポーション(均衡・秩序・叙階)とファンクション(機能・ふさわしい場・役割)が神的なコスモスの秩序を反映していると認められていた時代の、音による証である。この音楽が告げようとしているメッセージは、15世紀と同様、今日もなお強く訴えかけているとカペラ・プラテンシスの歌手たちは信じている。アンサンブルは、この伝統が語っている内的な声に対する順応性を高めていこうと日々努力しているが、この複雑な音楽が、どのような文化的宗教的背景を持つ者であろうと、聴く者の魂にふれることができるということを経験を通して知っている。この事実がカペラ・プラテンシスの出発点でもある。

 このことは演奏と解釈に際して、いくつかの前提をわきまえていなければならないこ
とを意味する。例えば高い、柔軟な声の活用がある。フランス・ネーデルランドの伝統では、作曲家たちは、変声期が過ぎても高音域を歌えるように特別に訓練された男声を念頭に置いて曲を作った。このような様式が要求している発声法と音色にできるだけ近づくために、カペラのメンバーはそれにふさわしい訓練を受ける。各声部ごとの歌手の人数は作品によって変わる。また、各声部が別々に計量記譜法で記されている大判のコワイヤ・ブックを見て歌う。このコワイヤ・ブックが高い譜面台におかれることによって、歌手は小さくまとまったグループとなり、それぞれの歌手は、自分の声を合わせていくべきポリフォニーのいくつもの層をはっきりと聴くことになるのである。「マエストロ・ディ・カペラ(音楽監督・リーダー)」はグループの中で歌いながらその役割を果たすのであって、声を出さずにグループの正面に立って対峙するのではない。

 グレゴリオ聖歌がポリフォニーの伝統にとって常にインスピレーションの第一の源泉であることを、アンサンブルはいつも重要視している。また、歌詞を適切に発音できるよう多くの時間を費やす。ラテン語は、知りうる限り作曲家が持っている響きのイメージに近づけるような仕方で発音される。例えば、フランス式ラテン語、フランドル(オランダ語)式ラテン語、イタリア式ラテン語では、発音とフレージングに明確な違いがあったのだ。そして最後に、アンサンブルが演奏するそれぞれの教会が持つ音響特性にも、特別な注意をはらっている。

 これらの諸前提を追求することで、アンサンブルをする歌手の態度・取り組み方は根元的に変化してきた。それぞれの歌手は、音楽的、言語的なアイデアに、理知的かつ自発的に反応することができるようになってきたと思われる。歌手たちは音楽自身がわだかまりなく呼吸できるようにすることで、この音楽が持つ本来の存在意義を実現させようとする。それはつまり、聴く者の魂を高める、ということなのである。

付録その2

 レベッカが教授するオランダ・ティルブルク市にあるブラバント音楽院古楽声楽アンサンブル科(最近はスコラ・カントールム・ブラバンツィエと称している)の「規律」を部分的に、多少自由に訳してみた。ここには今まで起こってきた不幸な衝突を、根本原則を確認し合うことで未然に防ごうという意図も見受けられはする。しかしこれは学生たちへの指針であると同時に、15、6世紀以前のアンサンブル音楽を歌う上での根本的な哲学ともなっている。「学部」というところを「アンサンブル」、「教師」を「リーダー」、「学生」を「歌手」と置き換えて読めば、私たちのアンサンブルにもほぼそっくりそのまま当てはまる。
  1. 古楽はアンサンブル的なアプローチを要求しているが、ここにおいては音楽そのものの特質だけではなく、この音楽を生み出した文化的状況も重要な役割を果たしている。

  2. この音楽(従って授業も同様に)は、教師と学生の双方にアンサンブル的思考一般の結果である「理解と受容性」を必要としている。この二つの要素には例えば次のような原則が含まれる。

    1. 教師同士、学生同士、教師と学生の間の関係は、お互いの信頼、尊重、寛容に基づく。各自は言葉と行いによって、アンサンブルと、学部全体が最善の状態になるよう努めるよう求められている。このアプローチは、本質的にこの音楽そのものと同様、非個人主義的、非部分的である。

    2. 各学生と教師のそれぞれに異なる音楽的・技術的能力と背景を理解し尊重することは学部が最良に機能するために大変重要である。

    3. 個人主義的な関心と利己的な目標設定は、学部全体としての重要性と安定性を損なうことになるので決して許されない。もちろん裏での秘密協議などもってのほかである。学生がある時点で別の方向を目指すべきだと他者に説得する必要を感じた時、あるいは自分が学部の方針と根本的に異なっていると感じたときは直ちに学部長に申し出なくてはならない。そうすることによって、痛みを伴う、全く不要な誤解が避けられるし、険悪な事態に発展するようなことは決して起こらない。

    4. 各自の振る舞いはできる限り好ましく責任あるものであるべきだ。つまり、他のメンバーに対する個人的関係ではなく、各自の働きが決定的な要因なのである。教師も学生も全体の中でそれぞれの特別な働きを担っており、そこでは個人的な事情を超えて、ある種の善意に満ちた関わり方が支配するべきである。このような理解は学部全体とともに各自の立場を強化することにもなる。具体的に言えば、教師も学生もどのような場合でも、ある人の他者に対する批判や悪口に耳を貸すべきではない。

    5. 学生同士で内輪に話し合うときは、考え方はできるだけ建設的、扶助的であるべきだ。当然各自は自分の立場を持つ権利があるが、悪口の言い合いになってグループ全体の結束を損なう危険があるので、注意が必要だ。

    6. どの学生もいずれかの教師に属する、ということはない。この音楽は大変難しく多様なので、各学生が最終的には自分の知性と経験に、よって立てるように教育されるべきである。教師の役割は、学生が自分の道を歩めるように助けてあげることにある。■


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